大阪高等裁判所 昭和46年(ネ)680号 判決 1972年6月21日
理由
被控訴人が、その主張のとおりの記載のある本件手形一通を現に所持していることは、当事者間に争いがなく、甲第一号証の二によると(その記載自体を証拠とするのであるからここでは成立の認定を要しない。)、本件手形の裏書欄には、被控訴人の主張2のとおりの記載がなされていることが認められる。そして、右裏書欄の控訴人名下の印影が控訴人の印章によつて顕出されたものであることは、当事者間に争いがない。
私文書の作成名義人の印影が、その者の印章によつて顕出されたものであるときは、反証のない限り、その印影は、作成名義人の意思に基づいて顕出されたものと事実上推定され、ひいて民訴法三二六条により、その文書が真正に成立したものと推定されることになる。そこで本件手形の控訴人裏書部分の印影について、右の事実上の推定を崩すに足りる証明があるかどうかを検討する。
《証拠》によると、控訴人は、昭和四三年八月から九月にかけて、実弟である伊藤昭夫に対し、本件手形の裏書欄に押捺してある控訴人の記名用ゴム印とその名下の印章を、二回にわたつて貸したこと及び本件手形の裏書欄に右ゴム印と印章を押捺したのは伊藤昭夫であることが認められるのであるが、その貸した目的について、《証拠》によると、控訴人が、本件手形の第二裏書人となつているヤスイ商事株式会社の常務取締役であつた伊藤昭夫から、同社の主催する得意先や同好者のための台湾への団体旅行に控訴人も参加するよう勧められて、これに応じ、その申込手続に使用するために貸したものであるという。しかしながら、《証拠》によると、裏書欄に用いられた控訴人のゴム印は、横書きで四段にわたつて「兵庫県西宮市弓場町五番一九号電話西宮(0798)(22)4139 小川産業社代表者小川照夫」と記載されたもので、全体で縦二センチ五ミリ、横五センチ七ミリに及ぶものであり、その名下の印影は、小川照夫と刻された直径一センチ五ミリの丸印で、いわゆる三文判ではないものであることが認められる。してみると、前記のような台湾旅行の申込みをするのに(その申込みの趣旨が、旅行斡施業者への申込みなのか、旅券申請の趣旨なのかも明らかでないが)、印章はともかくとして、右のような記名印まで必要とする理由は、とうてい納得できない。したがつて、右のゴム印等貸与目的に関する前記各証言及び本人尋問の結果部分は、信用することができない。
そうすると、他に、ゴム印及び印章の貸与目的について、手形に使用する以外の明確な目的を認めるに足りる証拠はないから、本件手形の控訴人裏書部分の印影の成立に関する前記事実上の推定はゆるがず、したがつてまた、右裏書部分は真正に成立したものと推定することができる。
《証拠》によると、株式会社三輪鋳造所とヤスイ商事株式会社とは、互いに融通手形を交換していたのであるが、同社の経理担当者として資金繰り等の衝に当つていた伊藤昭夫は、三輪鋳造所振出しの手形に信用をつけるため、兄である控訴人に裏書を依頼し、控訴人はこれを承諾して、自己の記名用ゴム印と印章を貸与して、伊藤昭夫に裏書を代行する権限を与えたこと、伊藤はこれに基づき、本件手形に控訴人名義で拒絶証書作成義務を免除してヤスイ商事株式会社宛の裏書をしたものであること、被控訴人が満期に銀行を通じて本件手形を支払いのために呈示したが、支払を拒絶されたこと、以上の事実を認めることができる。《証拠》中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
そうすると、その余の点につき判断するまでもなく、控訴人は、本件手形上の責任を負わねばならないということができ、控訴人に対し、本件手形金の内金五九四、〇〇〇円及びこれに対する満期である昭和四四年二月二八日から完済まで手形法所定年六分の割合による利息の支払を求める被控訴人の請求は、全部理由がある。よつて、これを認容した原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却
(裁判長裁判官 岡野幸之助 裁判官 入江教夫 高橋欣一)